吾輩・路地ニャン公が飼い主から聞いた話を思い出してみた。例によって長〜い話だったが...。
『そもそも、吾輩(飼い主)は三十代後半(1987年頃)から、尾道のまちの芸術(アート)化、文化化を夢ていた。アートに対して門外漢の吾輩がなぜそう思ったのか、それは金をかけなくても、色彩によりカタチの印象はガラッと変わり……(中略)……(後略)。
詳しくはこのページをご覧くださいな。
この猫写真は、吾輩のお気に入りなので、当時を思い出しながら心を込めた解説付きで、再びデビューさせることにした。皆さん、このページをよく見てやってください。
↑ 上の写真は、1986年に吾輩が尾道で初めて企画した『まちづくり』シンポです。
またまた長い長い文章が続くことになってしまった。外見はともかく、近頃、吾輩も人並みに右に習えで、受動的な記憶の断捨離が始まる兆候を否応無く日々自覚しつつあるようで、そろそろ空白の過去を振りかえろうかと、脳細胞の奥底の抽斗に後生大事に納めた記憶を引っ張り出して、それなりに辿ることにした。何のお役にも立てない吾輩ではあるが、本日は少々神妙になって、吾輩なりの『まちづくり』活動33年を凝縮して書き連ねたものをお送りした。タイトルは(尾道の)「まちづくりのベクトル」。せめて他人様のお役に立てればと願うばかりだ。ご興味あるお方は、どうぞこのページを覗いてくださいな。
「過去の歴史文化を今も温存する都市の多くは、やがて到来する『感性の時代』に照準を合わせ、今まさに都市の復権をめざし、新しい都市づくりを始めようとしている。その動きは、戦略的な都市づくりを手がける先進的な都市群に共通するものと言える。・・・・後略」から始まる企画趣意書は、タイトルが『最先端のアート空間』だった。
尾道の商店街と路地をアート空間と位置づけた『尾道まるごとギャラリー展』は、1994年7月に第1回を25名のアーティストたちの結集で、ボランティアで支えられ、実施されたが....。
詳しくは山陽日日新聞の記事も掲載したこのページをご覧ください。
新型コロナの変異種が全国に広がりつつあります。日常生活のなかで、私たちができる防御策を徹底しなければなりません。手のアルコール消毒や石鹸による手洗いは、もちろんのことですが、外食でマスクを外してのお喋りは禁物!! 食事は、紳士淑女のごとく黙って、ゆっくり咀嚼(そしゃく)しながら、楽しく美味しくいただくマナーを身につけましょう。美味しい食べ物は、それを口に入れてゆっくり味わうだけで幸せを感じるものです。
食事は五感で味わうもの。お好きな音楽を聴きながら、ご自分おひとりの楽しい世界を想像しながら、黙っていただくことが、緊急事態にあった一石二鳥の食べ方ではないでしょうか。(写真は尾道のとあるレストランで撮影したもの)
弊社ビサン ゼセッションの営業日と新たな営業時間のお知らせは、このページをご覧ください。
1987年頃から吾輩は尾道のまるごとアート化・ギャラリー化を夢見ていた。90年代に入り、実験的試みとして、吾輩の知人で関東在住のアーティストの協力を得て、呼び寄せた
アーティストは7人。彼らは店舗のシャッターをキャンバスと見立て、インスピレーション
アートを描いた。山陽日日新聞社のシャッターがそのひとつだった。その尾道の中心市街地に突如、高層マンション建設計画が......
詳しくはこのページをご覧ください。
WEBSITE「路地ニャン公のおのみちホッと情報」の尾道ゆかりの人々の中にある
【薩谷和夫】さんのページに、彼の新たな写真を数枚載せ、少々加筆しました。
ーモノクロ曼荼羅色とりどり PARTIIIー
大林監督が語る『画面の中の路地考』という建設省絡みのシンポジウムを
出会いの装置製造本舗と(株)ビサン ゼセッションの共同企画で行ったもので
曼荼羅談義の4人の話題提供者のひとりとして美術監督の薩谷和夫さんが
活躍されました。そのときの写真が数枚、押入れに入れていたアルバムの中に発見!
1992年7月26日13:00〜20:00までの内容豊かな一大イベントでした。
13:00 -14:00 街のウオッチングIN尾道『路地探偵団』:フィールドワーク
14:00 -15:30 基調講演 大林宣彦:尾道市立図書館
15:30 -17:00 曼荼羅談義 話題提供者 4名 :尾道市立図書館
17:30 -18:30 食事・生き粋路地コンテスト :浄土寺研修道場
18:30 -20:00 曼荼羅討論会:浄土寺研修道場
早速、このページに載せました。