クラブ「ロダン」と喫茶「ビクトリア」という二つのお店が一つの屋根の下で同時に尾道の歓楽街「新開」で産声を上げたのは、今から66年前の1956(昭和31)年頃だった。やがて「ロダン」と「ビクトリア」が統合され、新たに洋酒喫茶「ロダン貝の店」が誕生したのが1965(昭和40)年のことだ。そして、今もなお異彩を放つこの店は、まるでミュージアムの中にある洋酒喫茶「ロダン貝の店」といった方がお似合いだ。
その驚きの店内を吾輩路地ニャン公がご紹介するので、是非ともこのページをご覧ください。
クラブ「ロダン」と喫茶「ビクトリア」という二つのお店が一つの屋根の下で同時に尾道の歓楽街「新開」で産声を上げたのは、今から66年前の1956(昭和31)年頃だった。やがて「ロダン」と「ビクトリア」が統合され、新たに洋酒喫茶「ロダン貝の店」が誕生したのが1965(昭和40)年のことだ。そして、今もなお異彩を放つこの店は、まるでミュージアムの中にある洋酒喫茶「ロダン貝の店」といった方がお似合いだ。
その驚きの店内を吾輩路地ニャン公がご紹介するので、是非ともこのページをご覧ください。
2021年建築家・佐藤武夫設計の千光寺山展望台が尾道から姿を消した。1957(昭和32)年6月に大宝山(通称:千光寺山)山頂に建てられ、64年の間、多くの人々が尾道の風景を楽しんだ狎れ親しんだ建物だった。そして2022年、建築家・青木淳設計の新たな展望台が完成した。
1957年から1959年まで日本建築学会の会長でもあった佐藤武夫は、建築家として次のような言葉を残している。
瀬戸内の魚介類や野菜を目の前で揚げる串カツ「一口」の店主は、職人気質の山本明次さん。大阪から尾道に移り住み、この店を始めたのが1964(昭和39)年というから半世紀は過ぎてしまった。そして、2018年12月7日に今風の新店舗に移転し、親子孫の三代の揃い組で「一口」を盛り立ててこられたが、その初代山本明次さん(87歳)が2022年6月24日に他界されたという。大変、お世話になった人だけに、ことさら残念だ。初代山本明次さんの旧店舗での記憶を辿り、
少しばかりの拙文を認めたのでお目通しいただければ幸いだ。
鳥取県にるのは、はわい温泉(旧称:羽合温泉)。尾道にあったのはハワイ温泉で創業が1973頃。一年という短い期間で、その後は業態変化で今でいうラブホテル。しかしそのホテルも3〜4年も続かなかったらしい。今ではアイビースタイルの廃墟として半世紀という長寿を全うし、まだまだ健在...... だが、1970年代のコンクリート建築は海砂を使っているので耐震性が極めて悪い。どうしたもんでしょうかね。時代錯誤最先端を行くスクラップ&ビルドがお得意な尾道市だから妙案が出てくるのでは......。
ハワイ温泉の廃墟について詳しいのは、このページです。
いつも変わらぬ日常風景。
ある日、当然、その風景が変わった。築100年を来年迎えるはずだった山波町にあった国登録有形文化遺産で煉瓦造りの「山波変電所」が、日本遺産の都市・尾道市で解体された。2022年2月のことだった。
なぜそのようなことが起きたのか。
歴史都市といわれてきた尾道市とは?
歴史都市とは?
日本遺産の都市とは?
ここ30年の尾道市はどのように変わったか。
それで尾道は豊かになったのか?
尾道の将来はどうなるのか?尾道を愛する人々に問いかける。
詳しくはこのページをご覧ください。