2020年7月7日火曜日

天狗寿司


明治10年ごろ大阪の三九橋筋で開業した「天狗ずし」が、尾道の浮御堂小路角に引越してきたのが明治23(1890)年という。以来、焼き穴子、桂馬の厚焼きたまご、しいたけに、それぞれ小海老のおぼろ(*)で彩られた六切れの品良く飾られる箱寿司、そして尾道独特のあけ貝(あさりのむき身)と桂馬の厚焼きたまご、しいたけ、かんぴょう、穴子、おぼろ、三葉の7種類の具が入った太巻きの巻寿司の味は、四代目となって今年で50年目を迎える宮地信喜さんから五代目の息子さん宮地 準さんに受け継がれている。
そんな天狗寿司が尾道町で明治時代から引継がれてきた箱寿司・巻寿司の老舗になったのには、それなりの理由(わけ)があるはずだ。それを知るにはこのページをご覧んあれ

2020年7月6日月曜日

3台のピアノの尾道物語


Googleで「3台のピアノ」と入力して検索すると、モーツァルトやバッハの「3台のピアノのための協奏曲」が出てくる。そんな高尚なものは吾輩にとって文字通り「猫に小判」というもの。吾輩が書き込んだ「3台のピアノ」とは、彼らがどのようにして尾道に定住したかという尾道物語なのだ。
歴史ある都市や町では、さまざまな興味ある物件に遭遇することがある。例えば、どこにでもあるピアノではあるけれど、そんじょそこらにはないピアノもあるのだ。そんなピアノが吾輩の知るところでは、尾道に3台もある。<br />
1台は1899年(明治32年)製スタインウエイ&サン社のもので、1台は1906年(明治39年)製のベヒシュタイン社のもの、そして最後は1950年(昭和25年)製のディアパ-ソン社のものだ。3台のピアノの年齢を合計すると305歳。平均101歳を越している。
そんなピアノたちと尾道との関わりについて詳しい情報を掲載しているページはここですゾ。

2020年7月4日土曜日

尾道・持光寺のにぎり仏


尾道七佛めぐりの一つ、浄土宗 持光寺(平安時代に天台宗の寺として草創された)には国宝・絹本着色「普賢延命像」(1153)や江戸時代の女流画家・平田玉蘊(ぎょくおん)の墓があることで知られているが、もうひとつ有名なのが「にぎり仏」だ。
松岡昭禮(まつおかしょうれい)ご住職は、大の陶芸ファン。あるとき、ご住職が土に向かい作陶中、手に残った粘土が仏さまのお顔に見えた。これは一塊の土の中にも仏が宿っておられる証と思われ、寺内の「お庭窯」で焼かれたのが「にぎり仏」の始まりという。

2020年7月3日金曜日

尾道の日常遺産・久保小学校校舎解体の危惧


久保小学校は、明治6年(1873)に土堂町の天寧寺に置かれた小学温柔舎を起源にもつ。後に尾道尋常小学校となり、明治30年(1897)に現在の場所に校舎を新築移転する。その時の校舎は木造二階建ての建物だった。大正9年(1920)には久保尋常高等小学校と改称し、昭和8年に現在残る鉄筋コンクリート造の校舎を完成させている。当時の在校生の想い出によると、完成した当時は広島県一の校舎として評判だったという。
また、この久保小学校には、知られざるもう一つの尾道の日常遺産スタインウェイ・ピアノ(1899年製/明治32年)があることを知る人は少ない。全国的にみれば希少価値のあるピアノであが、尾道市では日常遺産とさえ認識されない、これこそ「猫に小判」の典型的な事例である。
久保小学校とスタインウェイ・ピアノ、二つの日常遺産が詳しく判るのはこのページだ

2020年7月2日木曜日

尾道の日常遺産・土堂小学校校舎解体の危惧


広島大学大学院工学研究院院工学研究科 助教 水田 丞の論文「尾道市立久保小学校・土堂小学校校舎について」(2020年3月5日)によると、「尾道市立久保小学校、土堂小学校の校舎は尾道の歴史文化を示す遺産、戦前の鉄筋コンクリート造小学校校舎の好例、そして地方都市の近代建築として、価値の高い建物といえる。」また「尾道市の中心部にあって現役の久保小学校、土堂小学校の校舎は全国的にみても貴重な存在である。」と指摘する。
尾道市は久保小学校と土堂小学校など三校を老朽化と土砂災害の危険性という理由から、この二つの建築物が解体される可能性が現実味を帯びている。しかし、老朽化と危険性という二つの理由は解決される問題であることがわかっているという。そして全国的には、廃校となった戦前の鉄筋コンクリート造校舎を別の用途に転用し、地域活性の起爆剤や文化発信の中心として再生した事例も多い。京都市国際マンガミュージアムは昭和4年(1929)に建築された旧龍池小学校校舎を再生した建物であり、京都芸術センターは、旧明倫小学校校舎(昭和6年建築)を再生したもの。神戸市にある北野工房のまちは、旧北野小学校校舎(昭和6年建築)を再生したものである。歴史都市・尾道の歴史遺産がまた消えていくのだろうか。
土堂小学校に関する水田 丞助教の一部の論文は、このページに載せてありますゾ

2020年6月28日日曜日

路地ニャン公のWEB SITEに、ある仕掛けが!


路地ニャン公のおのみちホッと情報のWEB SITEのトップページには、ある仕掛けがあることをお気付きの方は少ないのではないだろうか。大したことではないのだが、そろそろお披露目をしても良い時期かと……。

(1)弊社がJTB総合提携店(JTB代理業)であるため、画像中央のJTBロゴマークを単に載せているということではない。このマークをクリックすると、当然ながらJTBWEB SITEの尾道や鞆の浦、しまなみ海道沿線の宿泊施設の予約ページが最初に出てくるだけでなく、全国各地の宿泊予約が即座にできるということ。これにお気付きの方は、結構おられるのではないだろうか。

(2)次の仕掛けは、パソコンで路地ニャンHPを見ておられる方に限り、トップ画像の背景には黒白茶のまだら猫が映っているのが見えるはず。この猫、歩きたいが足が地に着いて動けずカラダだけがピクピク動いている、何だか変だなとお思いの筈。実はあることをすれば、ちゃんと歩き出し、その後、尾道町の昼の歓楽街・新開をスタート地点とし、吾輩が2019年の夏炎天下、腰に給水用の魔法瓶をぶら下げて、迷宮の尾道町に住む吾が猫族を訪ねて、路地や坂道を45時間さまよい歩き、撮影した涙ぐましい動画のほんの一部を編集し、鑑賞いただけるようになっている。それにはあることをしなければ観れないのだ。そのあることとは、トップ画面の半円の矢印に解決の鍵がある、としておきましょう。但し、動画15分か20分の覚悟が要りますゾ。

その路地ニャン公のおのみちホッと情報のトップページとはこれだ

尾道ラーメンの起源



ラーメンに個人情報保護法が適用されるとは思えないので、あえて吾輩・路地ニャン公が探偵となり入手した、「尾道ラーメン」の生い立ちにまつわる情報を公開しようと思う。
そもそも尾道で「支那そば」あるいは「中華そば」屋が誕生したのが1920年頃だといわれているが、定かではない。
現在もなお二代目が経営する老舗の中華そば屋は、終戦後の1940年代から50年代に開業したこと明確である。そのなかで全国的な知名度を得たのが「朱華園」で、食通で知られた作家の檀一雄(娘は檀ふみ)が、雑誌「旅」に寄稿した文章で、その人気度は推測できる。これはご当地ラーメンブーム到来以前の話だ。
そして、「尾道ラーメン」というその名付け親が誰か、その名を使用し全国的に広めた会社はどこか、など。「尾道ラーメン」談義はこのページでお読みいただける。