2021年7月24日土曜日

向島洋らんセンター


以前に掲載した「向島洋らんセンター」の紹介記事だが、当時の芝生広場とガラス張りの栽培ハウスの建設費だけ計上されていた予算額では、到底実現できなかったはずの多目的展示棟の建設が、どのような経過を辿って実現できたのか。単純な疑問だけが残っていた。
洋らんセンターは、単なる洋らんの栽培及び直販施設としてだけではなく、洋らんで囲まれた美しい空間を舞台に音楽活動の拠点として機能する施設ともなって行った。この洋らんセンターは農業生産者・建築家・ランドスケープアーキテクトの三人の知恵と創造力、そして情熱によって築き上げたものだ。その真相がより明らかになったので、一部加筆修正と構成の再編を行った。

そのページをご覧いただくのはこのページです。

2021年7月21日水曜日

新疆ウイグル自治区(ウルムチ・トルファン)

 今から20年前、関西空港から西安に飛び、国内線に乗り換えて新疆ウイルグ自治区ウルムチ に向かった。この7ヶ月前に、西安から敦煌までの飛行機が砂嵐で欠航となり、敦煌を断念。結果的に5泊6日の西安を楽しんだ。そして再び、敦煌を目指し、こんどは陸路で敦煌に入ろうとウルムチまで空路を選び、ウルムチ(烏魯木斉)からトルファン(吐魯番)まで専用バス、トルファンから敦煌まで鉄道の旅を実行したが....。

2021年7月4日日曜日

創業75年の「しみず食堂」から見える戦後尾道



終戦後の昭和21年に江戸時代に造られた曲がり雁木に沿うように建っていたバラック建築。
それは、日本の中でアジアを肌で感じさせる場所として、全国に多くのファンをもっていた。
尾道には、終戦直後に通称、国際マーケットと海岸マーケットといわれる2つのバラック建築のマーケットがあったようだ。国際マーケットは1965(昭和40)年11月に強制撤去され、海岸マーケットは1998年10月にその文化的価値が理解できず解体され、その後、江戸時代に造られた歴史的価値のある御影石の曲がり雁木も無造作に廃棄され、歴史を捨て中国産の石で新たな雁木が造られている。昔ながらの人と人。その日常の優しさが今も生きる「しみず食堂」から見える尾道の昭和の歴史の一端をこのページでご案内しよう。

2021年6月21日月曜日

JTB総合提携店(株)ビサン ゼセッションの営業日


427日から事実上店舗休業状態となり、約2ヶ月過ぎの621日に

緊急事態宣言下の沖縄を除き、北海道、東京都、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県の緊急事態宣言は解除になったものの、埼玉県、千葉県、神奈川県と共にまん延防止等重点措置の実施区域に引き続き指定されました。全国的にまだまだ予断を許さない状況です。
ご自分の防御は元より、他の方々のために三密を避け、マスク、手洗いを励行しましょう!

2021年6月20日日曜日

戸田芳樹が語る「東京物語」ー1953年尾道でロケ撮影された現場の思い出


今回の掲載を追加したのは、1995年開園した戸田芳樹が手がけた作品「向島洋ランセンターの芝生広場」と戸田芳樹が「東京物語」を語る3分30秒あまりの動画だ。
戸田芳樹の実家は、1953年に笠智衆と東山千栄子が演ずる夫婦が住んでいた尾道の家として、ロケーション撮影の舞台となった。1953年は戸田芳樹が幼稚園児の頃で、ロケーション撮影された当時の思い出を、戸田家の内で語り継がれた話を織り交ぜながら収録された貴重なものだ。動画の末尾に数秒間のちょっとした意図しない話が収録されているが、路地ニャン公の飼い主は、いまだアナログ派で、ビデオの編集技術を持ち合わせていなかったので編集なしの生ビデオとなっている。 

その貴重ビデオや洋ランセンターの芝生広場の素晴らしさをお楽しみいただけるのは、このページだ

2021年6月4日金曜日

天婦羅・季節料理 「すゑ膳」の思い出

 


尾道駅から国道2号線を東(左方向)に歩いて2分、中国銀行尾道駅前支店・尾道支店の東側を海岸に抜ける通りの途中に、吾輩が勝手に名付けた路地がある。その名は「旅籠小路」という東西に抜ける短い路地だ。その路地の西側寄りにあったのが天婦羅・季節料理 「すゑ膳」というお店で、作家の高橋玄洋、漫画家のかわぐちかいじ等愛用のお店であった。
あったというのは、今はもう閉店しているということで、閉店日は2012年12月30日だから、もう8年半が過ぎたということか。このお店の記録を路地ニャンのWEBSITEに載せていなかったことに気付き、オコゼの活き造りの調理実況録画も復活させた。それにしてもこの映像、ちょっと衝撃的映像だけに、気の弱い方には、おすすめしない。

それではここのページをご覧あれ!

2021年5月31日月曜日

戸田芳樹(ランドスケープ アーキテクト)

 

2002年12月6日付けの中国新聞社の紙面に、記者が戸田芳樹にインタビューした内容を要約した記事を、次のように載せている。

『古里・尾道は、風景を通して自分の歴史を見詰めるには最適な町である。自分の親、祖父の記憶までも、積み重ねることが、尾道なら可能という。そんな古里を思うにつれ、戸田は感じる。「日本は戦後、風景を壊してきた。風景をどうつくっていくか責任は重い」』と。
日本ではいまだに造っては壊す(スクラップ&ビルド)という考え方が横行している。良い例が国立競技場の解体と1569億円もの建設費がかかった新国立競技場の新築だ。アスリートの評判も良く、まだまだ使える国立競技場を壊し、高額な税金をはたいて作られた新国立競技場。かたやこの事例は、地方の歴史都市・尾道でも同じこと。どんどん昭和の代表的な歴史的建造物を壊し、新たなものを建築して行く。その結果、昭和の時代の近代建築はほとんど失われている。歴史を味方にしないまちづくりの行く末は?

尾道出身のランドスケープ アーキテクト戸田芳樹が『自分の風景の原点は、尾道にある』と常々いっている。その活躍の断片を、このページに少しだけ載せているので是非ともご覧くださいな。