2020年1月7日火曜日

表入口とその奥の角あたりの表情がこんなに違う、「昭和通り」



「吾輩は道である。名前はまだない」という道が最近多くなった。そんな中で小さな路地に名前がついているのは、その町に歴史があるということだ。それでは「昭和通り」という名の由来は?という質問にお答えし、路地ニャン公がこの「昭和通り」に更なる尾道の昭和の歴史をプラスしてディープに語った味の濃い路地解説、その後の激震!!「尾道町の内部崩壊」でリニューアル。

その内容をお知りになりたいお方は、このページを覗くと良い。

2020年1月5日日曜日

福袋付き尾道弁じゃ



吾輩・路地ニャン公は、自らの独断と偏見による浅知恵に従い、明治31(1898)年の尾道市制以前の「御調郡尾道町」とその隣接する地域にあえて限定し、そこで暮らすご高齢の方々に話ことばである「尾道弁」のヒアリングをちまちまと試みてきた。その結果が、ちょびっとまとまったので、大々的に「これが尾道弁じゃ」と公開した次第。皆さんはどれぐらい「尾道弁」が理解できたかな?なお、タイトルの福袋付きとは何かは、Websiteをご覧いただければお分かりになるはず。

収集した「尾道弁」は実に面白い話ことば。それを記載したページがこれです。

2020年1月3日金曜日

日本の猫3(世界遺産・石見銀山のある大森町の猫)



島根県大森町にある群言堂、そのショウーウインドウには存在感のある猫が居た。それはまさしく江戸時代の銀山を統括する威厳ある代官のようだ。そして「歩むは吾が道」とばかりの唯我独尊の猫や仲良し子よしの猫一族。世界遺産・石見銀山のある大森町の猫たちも個性豊かだ。

大森町の猫たちにお会いされたければ、このページをお開きください。

2020年1月2日木曜日

超スリムな家と複雑な6+2差路の防地口


歴史都市・尾道の証が防地口の複雑な6+2差路だ。そんな交差点だからか、毎日見ている風景だが、観てはいなかったのだろう。ある日突然、防地口の脇にあるこの物件が吾輩の目に飛び込んできた。思わずニンマリしてしまう家なのだ。超スリムな2階建の家屋が、脳細胞を活性化してくれる。

それを案内したのがこのページです。





2019年12月31日火曜日

加藤家から見た尾道の大正・昭和初期



明治30-40年代頃の加藤對山の尾道移住から「藤半」の加藤家は始まった。
なぜ對山は信州松本の実家に戻ることなく尾道に移住したのか。
当時の尾道の実相を吉田松太郎著「尾道案内」(大正4年4月20日発刊)を
参考にしながら加藤家の写真を通して当時の尾道を少しばかりご案内してみたい。

これが大正から昭和初期の尾道をご案内するページです。

2019年12月20日金曜日

西橋町は【西京町】と書く説もあるが


この路地のエントリーをつくって、もう2ヶ月以上経過したか。吾輩はてっきり路地のカテゴリーに掲載されていると思い込んでいた。身内にこの路地のことを質問されたので、路地ニャンのWEBサイトを見たら、と言ったところが影も形もない。調べてみたら、吾輩のミスでパソコンの中を宙ぶらりんにさまよっていた。そんなわけで、吾輩は今一度推敲に推敲(すいこう)を重ねて読者の皆さんにお届けしようと頑張った。

その頑張りが結果として出ているかどうか、このページをご覧あれ。

2019年12月15日日曜日

尾道町を歩けば猫に当たるわけではないが、路地には実に個性的な猫がいる。

「モノクロ曼荼羅色とりどり」とは、かつて尾道じゅうにん委員会という任意のまちづくり団体のメンバーで彫刻家が、1991年のシンポジウムのタイトルに考案したものだ。尾道町を歩いていると、まさに「モノクロ曼荼羅色とりどり」と言いたくなるような、実に印象的な顔や多様な配色や柄の体毛に覆われた猫たちに遭遇する。今回は、その猫たちが暮らす町の歴史や吾輩の雑感を交えて一部をご紹介しよう。


さまざまん猫たちが登場するそのページはこちらです。