2020年6月28日日曜日

路地ニャン公のWEB SITEに、ある仕掛けが!


路地ニャン公のおのみちホッと情報のWEB SITEのトップページには、ある仕掛けがあることをお気付きの方は少ないのではないだろうか。大したことではないのだが、そろそろお披露目をしても良い時期かと……。

(1)弊社がJTB総合提携店(JTB代理業)であるため、画像中央のJTBロゴマークを単に載せているということではない。このマークをクリックすると、当然ながらJTBWEB SITEの尾道や鞆の浦、しまなみ海道沿線の宿泊施設の予約ページが最初に出てくるだけでなく、全国各地の宿泊予約が即座にできるということ。これにお気付きの方は、結構おられるのではないだろうか。

(2)次の仕掛けは、パソコンで路地ニャンHPを見ておられる方に限り、トップ画像の背景には黒白茶のまだら猫が映っているのが見えるはず。この猫、歩きたいが足が地に着いて動けずカラダだけがピクピク動いている、何だか変だなとお思いの筈。実はあることをすれば、ちゃんと歩き出し、その後、尾道町の昼の歓楽街・新開をスタート地点とし、吾輩が2019年の夏炎天下、腰に給水用の魔法瓶をぶら下げて、迷宮の尾道町に住む吾が猫族を訪ねて、路地や坂道を45時間さまよい歩き、撮影した涙ぐましい動画のほんの一部を編集し、鑑賞いただけるようになっている。それにはあることをしなければ観れないのだ。そのあることとは、トップ画面の半円の矢印に解決の鍵がある、としておきましょう。但し、動画15分か20分の覚悟が要りますゾ。

その路地ニャン公のおのみちホッと情報のトップページとはこれだ

尾道ラーメンの起源



ラーメンに個人情報保護法が適用されるとは思えないので、あえて吾輩・路地ニャン公が探偵となり入手した、「尾道ラーメン」の生い立ちにまつわる情報を公開しようと思う。
そもそも尾道で「支那そば」あるいは「中華そば」屋が誕生したのが1920年頃だといわれているが、定かではない。
現在もなお二代目が経営する老舗の中華そば屋は、終戦後の1940年代から50年代に開業したこと明確である。そのなかで全国的な知名度を得たのが「朱華園」で、食通で知られた作家の檀一雄(娘は檀ふみ)が、雑誌「旅」に寄稿した文章で、その人気度は推測できる。これはご当地ラーメンブーム到来以前の話だ。
そして、「尾道ラーメン」というその名付け親が誰か、その名を使用し全国的に広めた会社はどこか、など。「尾道ラーメン」談義はこのページでお読みいただける。

2020年6月24日水曜日

暁・舶来居酒屋


尾道は一週遅れのトップランナーになれると思っていたが、それも危うくなったと思っている。尾道町は、明治から昭和の時代にかけての代表的な建築物がどんどん消し去られていく。いまでは、非日常的な「尾道の日常」がどんどん失われ、全国的には文化遺産が、尾道では日常遺産とも認識されないまま、その存在が消されて行く。もはや、昭和の時代の重要な近代建築物は絶滅危惧種から絶滅というカテゴリーに書き込まれることが現実問題となったようだ。その現実を、改めて『暁・舶来居酒屋』を通して、コメントと写真を加えながら再考してみた。そのページはこれだ

2020年6月20日土曜日

夜の街・新開に聳える木製の電信柱


写真は、2007年4月15日まで尾道の歓楽街「新開」のど真ん中に聳え立っていた17mもある木製の巨大電信柱の一部だが、今は同一規格のコンクリート製電柱が愛想もなく立っている。路地ニャン公の旧WEBSITEに書き込まれていたこの記事を思い出し、再びこのNEW WEBSITEに復活させた。
改めて読み返して見たが、やはり尾道は先人たちが積み重ねてきた深みと厚みのある日常風景、その中で昭和の時代を構成した得難い建築物やパーツを惜しげも無くどんどん捨て去ろうとしている。その結果、尾道が特徴のない薄っぺらな風景のまちにどんどん変貌していることに気付くのだ。これが吾輩の取り越し苦労であれば良いのだが。一つの事例として上げられる、昭和の時代の日常にあったパーツをご覧いただけるのはこのページです。

2020年6月19日金曜日

薩谷和夫(映画美術監督)が描いた「尾道風景お便りセット」


フリーの美術監督としてスタートした薩谷和夫(1935-1993)さんが、初めて手がけた映画の第1作目が大林映画「転校生」だった。以後、尾道三部作をはじめ、大林宣彦映画監督との仕事が90%を占めた。彼は、尾道市民以上に尾道町の隅々を熟知されていて、まちの魅力を心の底から理解していた人だった。薩谷さんの描いたスケッチ画からは、尾道への愛情が溢れ出てくる。
このたび、以前書き込んでいたエントリー名「尾道風景お便りセット」の内容を若干加筆修正し、薩谷和夫さんが絵ハガキ用に描いてくださった12枚のすべてをご覧いただけるようにアップした、そのページがこれです。

2020年6月14日日曜日

尾道の廃墟ガーデン



尾道町には緑の公園は芝生ばかりで、尾道三山を別にして、心を動かす感動的なものといえば、神社仏閣の大楠か銀杏の木ぐらいのものか。しかし、楠や銀杏の木は、ときとして樹形のことも考えないでバッサリ太い枝を切り落とされる光景をよく見てきて、心を痛めていた。残念ながら、貧すれば鈍するで、美意識よりも都市力の低下による経済効率優先主義が横行しているのだろう。
そんなご時世ではあるが、この「尾道の廃墟ガーデン」だけは、いろんなご意見があるやも知れぬが今も健在で、春夏秋冬、十数年という長きにわたり、吾輩の飼い主の心をときめかしているようだ。その14年間の観察をまとめたページがこれです。

2020年6月11日木曜日

小さな庭の五月の花たち



最近、飼い主の口数が少なくなった、と心配した吾輩路地ニャン公は秘伝の術を使い、飼い主の脳細胞の中に分け入ってみた。その中は、自然災害の脅威、新型コロナウイルス、危機に直面した政治家リーダーたちの能力不足、人類の先行き不安、その他不満鬱憤、混沌とした世界が広がっていたが、そこは吾輩の飼い主のこと、「吾唯知足」という禅の世界への憧れも並存していて、どうやら自らの心を安寧の世界におき、「無事澄然」の境地を求めて長旅を始めようとしているように見えた。『その先に見えるのは日常というありふれた日々であった.......。』と、訳の分からぬ現実と夢の間を行ったり来たりしていたら、吾輩は目が覚めたらしい。こういうときは、庭に出て大きな欠伸をしながらグ〜ンと背伸びして花でも愛でよう。実際のところ、猫である吾輩が秘伝の術を知る由も無い。小さな庭の五月の花はこのページに載っていますゾ。