2021年5月31日月曜日

戸田芳樹(ランドスケープ アーキテクト)

 

2002年12月6日付けの中国新聞社の紙面に、記者が戸田芳樹にインタビューした内容を要約した記事を、次のように載せている。

『古里・尾道は、風景を通して自分の歴史を見詰めるには最適な町である。自分の親、祖父の記憶までも、積み重ねることが、尾道なら可能という。そんな古里を思うにつれ、戸田は感じる。「日本は戦後、風景を壊してきた。風景をどうつくっていくか責任は重い」』と。
日本ではいまだに造っては壊す(スクラップ&ビルド)という考え方が横行している。良い例が国立競技場の解体と1569億円もの建設費がかかった新国立競技場の新築だ。アスリートの評判も良く、まだまだ使える国立競技場を壊し、高額な税金をはたいて作られた新国立競技場。かたやこの事例は、地方の歴史都市・尾道でも同じこと。どんどん昭和の代表的な歴史的建造物を壊し、新たなものを建築して行く。その結果、昭和の時代の近代建築はほとんど失われている。歴史を味方にしないまちづくりの行く末は?

尾道出身のランドスケープ アーキテクト戸田芳樹が『自分の風景の原点は、尾道にある』と常々いっている。その活躍の断片を、このページに少しだけ載せているので是非ともご覧くださいな。

2021年5月27日木曜日

尾道の猫2

改めて、綿菓子風の猫のタイトルを『謝恩セールのPOPを生かす看板猫』と変え、解説も大掛かりに改修。さらに新たな猫の登場です。タイトルは『使用禁止の土地に居座る猫』です。
赤瀬川原平の「猫が行き交う町は安全な町だ」という前提が崩れそうな尾道に、チクリと愚痴をこぼす路地ニャン公の飼い主。尾道は本当に元気な町だろうか?!と思える昨今の事情が見え隠れします。詳しくは、このページをご覧ください。


天寧寺のお庭から見える尾道の桃源郷

春うららの4月、吾輩は花に囲まれた天寧寺のお庭に立ち、爽やかな風に吹かれていると、ふと『桃源郷』という言葉が脳裏に浮かんできた。それは、まさに陶淵明の描いた別天地、この地が尾道での桃源郷だと、吾輩に感じさせたせいだろう。

天寧寺の境内に咲く牡丹やさまざな美しい花たちのスナップ写真27枚と2007年製の動画で尾道の桃源郷を想わせる世界にご案内いたします。そのページはここです。

2021年5月17日月曜日

まちづくりの顛末

路地ニャン公の飼い主が、自ら取り組んできた尾道のまちづくりを様々な資料と記憶を頼りに綴った報告書のひとつが何とかまとまった。「まちづくり」という言葉の意味を知った1986年からNPO法人を解散した2019年まで33年間の超圧縮版だ。尾道の歴史的景観を守ろうと活動したが、市民運動にまで昇華できず、その後、活動を「日常の風景の質を高める」ことを目指し「質の高い商業主義を排した音楽イベント」の道へ方向転換する。が、しかし飼い主は本来のまちづくりと考えることにも敢えて二兎三兎と追い求める。そんな飼い主が「銭儲けのできぬ興行師」となり、27年間の活動もしてきたが......。

詳しくはこのページをご覧いただけると、Stay Homeの時間も少しは過ぎるかも。








2021年5月16日日曜日

突如現われた暗渠の防地川の石垣から見えるもの


1934年に暗渠となった防地川、その石垣が目の前に現われた。この川には、かつて「新橋」という木橋が架かっていて、1915(大正4)年に石橋に架け替えられた。その石橋は、国宝の寺・浄土寺と文楽の墓がある海龍寺の間から、瑠璃山山頂に通じる浄土寺山道の入り口に移築させている。

暗渠の防地川の石垣から、尾道の大正・昭和の賑わいのある尾道への妄想が広がって行く。
その妄想に至るまでの詳細をこのページでご覧いただけますゾ。

2021年5月13日木曜日

大正時代にタイムスリップ・焼き鳥屋『村一番』

 

「置屋」といってもご存知ない方がほとんどだろう。置屋は芸者や遊女などを抱えていて、求めに応じて茶屋・料亭などに差し向けることを業とする店のことだ。尾道の歴史地区、そのド真ん中に「新開」と呼ばれる歓楽街がある。遡ること半世紀前ぐらいには、この歓楽街に飲み客が犇き溢れていた。今は、当時の賑わいが嘘のように静かだが...。
この歓楽街に大正時代に建てられた木造建築で、元「置屋」だったという家を買取ったのが元学校長、その校長の娘さん夫婦が昭和最後の年(1988年)に開業した焼き鳥屋が『村一番』だ。この店、老若男女に人気があり、それは焼き鳥の味もさることながら....

詳しくはこのページをご覧くださいな。