2024年5月5日日曜日

ハッと驚く緑の壁(Green Wall)

 

海辺の道路を尾道駅前から西に向かって車を数十秒走らせると、忽然と前方右手に鮮やかな若葉の緑の壁(Green Wall)が目に飛び込んで来る。尾道の街中にあるの廃墟が装う自然美の衝撃、まさに心を揺るがす。毎年、初夏の今頃は若葉の鮮やかな緑、秋の深まりの中では美し色の紅葉に変げする。この緑の壁(Green Wall)が、公共の空間を豊かにしているのは自然の力だ。


『イルミネーションの功罪』
公共空間といえば、最近どこの都市でも見かけることだが、たとえば、夜桜のライティングはまさに空間を豊かにし、人々に安らぎと喜びや感動を与える。それは自然の美しさによるところが大きい。
近年、どこの都市でもよく見かけるのが、樹木や建物、ヨットのマストなどのイルミネーションだ。わが街の「暗がりにひかり」をと、頑張る気持ちは理解するが、樹木を傷つけたり、色彩感覚のズレによっては、不幸なくらい下品な公共の空間をつくりあげることがあるとも思っている。
公共の空間を考えるとき、思い浮かぶのがヨーロッパの歴史都市で見かける店舗の看板や公共の広告塔、野外彫刻が醸し出す美しい公共空間だ。路地ニャン公の徘徊する尾道は歴史都市だと思っていたが、どうだろうか.....。

『かつての野外彫刻たちは、どこに?』
公共の空間とは、と考えていたら、ふと尾道のまちのあちこちに置かれていた野外彫刻を思い出した。今から半世紀前あたりから、1体一千万円を超える税金を使い、高価な黄金色の像やブロンズ像など10点あまりが街中に置かれていた記憶がある。それらの像がいつの間にか、いろいろな場所に何度も引っ越しの憂き目にあっていた、とまでは知っていたが、あの銅像の皆さんはどこに鎮座しておられるのでしょう?

『田能村竹田』像 作家:矢形 勇
吾輩が田能村竹田翁のブロンズ像を初めて観たのは、元橋本本家跡、のちの長江口子供遊園地で、今では観光バスの駐車場、その駐車受付ハウスのあるあたりだ。そのときは、東の方角、遠く過ぎ去った江戸に思いを馳せておられるように配置されていたと記憶している。
その後このブロンズは姿を消した。
あれから何十年経ったのだろう、吾輩が今から数年前の冬場に千光寺山に登り、千光寺本堂から石段を降り、その昔、市立動物園であった公園跡に足を踏み入れた途端、「田能村竹田」翁が目の前に立っておられた。無造作に地面に置かれたように見えたが、簡易な台座の上に立っておられた。
唯一、心慰めてくれたのが同族の可愛らしいニャン子だ。陽当たりの良い翁の足元を暖めるように寄り添っていて、吾輩、思わずほっこり嬉しくなったことを今も思い出す。



『なぎさの女神』像 作家:圓鍔勝三
1954年頃に尾道駅のロータリーの中心に据え付けられ、戦後尾道の象徴として噴水を出していた「渚の女神」は、いつの間にか千光寺山頂にある美術館の西側にあった小さな公園に配置され噴水も出していたのを記憶している。当時は車の排気ガスで、ブロンズが危ういということで移転した(?)と聞いたような気もするが、その記憶は定かではない。
その後、駅前再開発でやっと海辺に帰ってきたものの、数年前にブロンズを保護するためと塗装された女神は今も噴水を生かすことなく、芝生の上に置かれている。吾輩路地ニャン公はいつも心を痛めて、「申し訳ない」と謝りながら眺めている。


『公共空間を豊かにするための造形・野外彫刻』
野外彫刻や公共建築物の造形は、立地の空間を豊かにしなければ意味はない。そのため、彫刻家や建築家などアーティストは、立地環境を徹底的に認識した上で、創造力を高め、全身全霊をもって表現力を発揮しているのではないか、とド素人の吾輩、路地ニャン公は考えるが、どうだろか。
「なぎさの女神」が設置された四、五十年後、尾道市が購入した一連の野外彫刻たちは、著名な文化勲章受賞の作家を選考基準として作品の購入を決めたと当時の担当者から吾輩は訊いている。作品の配置場所はあまり重視されていなかったようだ。吾輩は、尾道市のこうした手順が野外彫刻たちの不幸な流浪の転居を余儀なくされてきたと思っている。


『渚』像 作家:淀井敏夫
吾輩がウロウロ町を徘徊していて、設置当初から移転させられていない幸福な歴とした野外彫刻の一つをご紹介しよう。




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