2020年8月16日日曜日

「猫に小判」の文化遺産

 

最近は猫のまち尾道になっているらしい。猫が居るところは安全なまちだと言われるが、安全なのは猫であって、棲んでる場所は人があまり多く住んではないが、餌だけは何とか猫びいきの人が配給するので生き延びている、という地域だ。その猫たちは野良猫という。山陽本線以南では路地の多い久保の新開あたり、あとは車が往かぬ千光寺山の斜面だろう。
昔は猫が棲んでいる場所は、人も住みやすい場所だと思っていたが、時代が変わり、自然が変わり、人も新たな日常生活様式に慣れないといけないことになった。そんな時代ではあるが、やはり生まれてから風景が変わらぬ「まち」には魅力がある。変わらない風景を維持する力がある「まち」は、ヨーロッパにはたくさんあって、どれも魅力的な「まち」だ。
日本では風景が変わらないことに劣等感をもつ「まち」や国民が殊の外多かった。高度経済成長期の日本では、消費文化にあこがれ、日本全国一律に東京に憧れをもつ「まち」や国民が多かったのだろう。今は、団塊の世代は70歳を越え、彼らの孫たちが若者となり、世の中を担うようなってきた。そんな若者にとって変わらぬ風景を維持してきた「まち」をみるとなぜか魅了されるらしい。そんなまちに尾道はなってほしいが、変わらむ風景をもち続けるためには知恵が必要だ。尾道はどうだろうか。由緒正しい猫である路地ニャン公は、飼い主の影響を受け、どんな味方をしているのやら。ちょっとこのページを覗いてみてくださいな。

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