2019年12月9日月曜日

明治に始まり令和元年6月に終えた尾道の「藤半」の長い歴史をひもとく。


東京『更科本店』の蕎麦職人だった加藤對山が暖簾分けで、信州松本から尾道に移住し、この地で『更科』を出店する。對山の尾道での生活も安定し、大正4年に松本から息子・慶一郎を呼び寄せた。商才のある慶一郎は、江戸時代から続いた尾道の料亭「胡半」を引き継ぎ、「藤半」と改名し料亭旅館として発展させる。その後、様々な変遷を経て、昭和58年四代目加藤實によって和食の店「藤半」を開業し、令和元年6月に店を閉じた。その歴史を写真を見ながら紐解いてみる。

「藤半」の長い歴史をひもとくのは、こちらのページです。

1 件のコメント:

  1. 尾道がこの数年間でどんどん変わっていく。その引き金が皮肉にも文化庁の「日本遺産」の指定都市となった時期に重なる。尾道は歴史を生かすことなく、世界が求める流れに逆らいスクラップ&ビルドを推し進めている。

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